まことに小さな部活が、開化期を迎えようとしている。





小さなといえば、平成25年のフェンシング部ほど小さな部活はなかったであろう。

返答といえば愛想笑いしかなく、人材といえば20年のあいだぼっちであったコミュ障しかなかった。

大学入学によって受験生は初めて近代的な「学友会」というものをもった。

誰もが「部員」になった。



不慣れながら「部員」になった大学生たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。

この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。

高校のどういう階層の、どういう部活の子でも、ある一定の技術を身につけるに必要な出席率と根気さえあれば、フルーレ人にも、エペ陣にも、サーブル神にも、飲み会要員にも、成り得た。

この部活の明るさは、こういう楽天主義から来ている。



今から思えば、実に滑稽なことに、愛想笑いと空回りの他にコミュニケーション能力のないフェン部の連中は、テニスサークルと同じ青春を持とうとした、女子部員も同様である。会話の成り立つはずがない。が、ともかくもリア充部活を作り上げようというのは、元々新歓の大目的であったし、新歓後の部員の獣のような欲望であった。





この物語は、その小さな部活が人生に数度も来ないという都市伝説の一つ青春と直面し、どのように振舞ったかという物語である。

主人公は、あるいはこの時代の小さなフェン部ということになるかもしれないが、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。

宮城は、仙台片平に三人の男がいた。この古いボロ部室に住みついた黒田燎は、新歓が始まるに当って、獲得は不可能に近いと言われた女子部員が入部に至る作戦を立て、それを実施した。

その手下の赤★晃は、自分を嘘で塗り固め、コミュ障には無縁といわれるCAFFE VELOCEでバイトするという奇跡を遂げた。

もう一人は、部ログといった日本の古い長詩形に新風を入れて、その中興の祖となった廃人・森大輔である。

彼らはゆとりという時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。

上って行く山の上のつらい現実に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、山を上っていくであろう。









あ、作戦を立てて実施はしただろうけど、成功したかどうかは知りません。

これは更新頻度の少なさを補うための処置であり、クレーム他は受け付けません。